シャンパンタワーの法則、誰が注ぐの

     

居酒屋でバイトしてたとき、

細いし、背高いし、

倒して割りそうだったから

     

シャンパングラスって苦手だった。笑

     

でも、働いてて

先輩に教えてもらった大切なことがある。

     

シャンパンタワーの法則

    

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シャンパンタワーの法則とは

    

シャンパンタワーをピラミッド状に積み上げて

グラスをこんな風に見立てます。

     

1番上のグラスを自分自身と見立てて

2段目を、家族(身近な人たち)と見立て、

3段目を友達や一緒に働くスタッフと見立てて

4段目をお客様と見立てていきます。

     

全体を満たすためには、

一番上のグラス、

そう自分のグラスをまず最初に満たさなければいけないのです。

     

>>>

     

ざっくりいうと、

まずは自分を満たしてから、

周りを満たしましょう。

って話だと解釈してる。

     

なるほど。
確かに、自分を満たすことから始まるよな。

それ、大事!

     

     

でもさ、

最近、ふと、

疑問に思ったんだよね。

    

そのシャンパンタワーって

誰が注ぐの?

    

    

自分を満たすために、

    

外から何かを入れないと、

    

自分は満たされないの?

    

     

外から注がれるのがなくなったら、

自分のグラスの中の何かは

いつか蒸発してなくなる。

       

それって、やばくない?

    

    

よりもさ、

不安定なグラスのタワーの上に

自分を置くんじゃなくて、

     

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派手さはないけど、

底がしっかりして、

安定してるグラスを地面に置いて、

     

その底を

掘ったらいいと思うんだ。

    

掘るっていうのは

肉体的じゃなくて、

精神的にハードなときがあるけど、

    

自分の内側をちゃんと掘って、

    

水脈までたどり着いたら、

グラスの水はとめどなく溢れ続けるから。

      

その溢れ続ける水は、

自分の周りの世界を潤していけるから。

      

朝6時の明治神宮にて

一斉に目を覚まし、

活動を始めた生命を前に、

         

自分の中で眠っていた何かが、

大きく伸びをした。

          

公園で、若いおじいちゃん達が

ラジオ体操を始める。

           

寝続けると歳をとるのが早くなる。

彼らは自分の起こし方を知っている。

『代々木公園のフェスでのカレー屋さん』

『代々木公園のフェスでのカレー屋さん』
    
◯お客さんの視点
このケバブ屋さんめちゃ並んでる。
おいしーんだろーな。並んでみよ(^^)
     
◯カレー屋さんの視点
いやいやw ケバブにそんなに並ぶ???笑
え、ケバブでしょ!?笑
      
>>>

 

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カレー屋さんのキッチンカーの荷台、少し高いところから
全体的に見てて思った。
売れる秘訣は、一個だけ。
    
『行列を”つくる”こと』
    
ケバブ屋、もっと工夫したら、
速く、たくさん作れるのに、それをしない。
    
行列がお客さんを呼ぶから。
      
ウチのカレー屋も行列ができてからは
13〜16時の間、

ずっと、

本当にずっと行列できてた。      
     
>>>
    
他の人が並んでたら、美味しそうって思うのは、
めちゃわかる。おれも安心する。
     
でもさ、
   
ケバブでしょ!?笑
     
フェスの雰囲気ってすげ〜な〜。
     
大衆心理ってすげ〜。行列ってすげ〜な〜。 笑
    
     
◯◯◯

          
嬉しかったのは、
ひとりで看板を眺めてたインド人のおばちゃん。
英語で話しかけたら、
     
「カルダモンカレー」(英語表記 Chicken curry)
を頼んでくれた。
      
でも、チキンが半分くらい溶けてしまったのを見て、
「チキン入ってないじゃん!
 あんたたち、ライス&カレーじゃなくて
 ライス&スープって言いなさいよw」
    
って言ってたのに、
     
しばらくして、
戻って来た。
    
今度は、すげーいい顔で。
    
「チキンカレー、グレイトだったわ!
 ビューティフルよ!」
     
って、
握手してくれた。
     
     
1日だけだけど、
めちゃ頑張って、店に愛着わいたし、
うまいと思って出してるから、
     
本場の方にビューティフル!
って言われるのは、気持ち良い(^^)
     
     
     
『旅するカレー屋さん』のおかげで
カレーは人を幸せにすることがわかった(^^)
     
     
    
けど、
週6カレー。昨夜もカレー。
賄いカレー。今夜もカレー。
      
おれは、一旦、いいかな 笑
      
     
     
時給、ちゃんといいし、
フェス、楽しいし、
カレー、美味しいし、
    
土日で楽しく小遣い稼ぎしたい人、
オススメです!
気軽にメッセくださーい(^^)
      
よっしゃ!
今夜はうどん!!!
手軽にできるチョイスが沢山ある日本人。
幸せだ(^^)

【リスペクトと感謝をもって一歩ずつ】

旅をしながら、
『リスペクトと感謝を持って一歩ずつ』
というのをいつも心がけている。


リスペクトは「尊敬する」だけど、
それだけじゃなくて
     
新しい土地に行くとき、
「おじゃまします」
    
という、その土地への、
その土地に住む人への、
思いやり、配慮を忘れないようにしよう。


出会う1人1人に必ず、高い価値があって、
その価値を「ちゃんと」見れる自分でいよう。
   
  
re spect 再び ちゃんと見る。
    
ちゃんと見れたら、
相手を思いやれる。
相手の価値を認められる。
     
リスペクトにはそんな意味があると
僕は 思ってます。
    
     
    
そして、
感謝という字の成り立ちは、こうだそうです。
     

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※漢和辞典ーOK辞典より


刺激によって、心が動く。
言葉を放つ。
     
    
辞書で調べた、感謝とは
「ありがたい気持ちを表すこと。
また、その気持ち。」
     
言葉を放ちたいほど心が動くときは、
ありがたいとき。
って、おもしろい。
     
    
◯◯◯

タイのおばちゃんが、
道に迷っている僕に声をかけてくれて、
人が溢れる歩道、
3m後ろを歩く僕を何度も振り返り、
駅の切符売り場まで案内してくれた(^^)

1泊450Bのゲストハウス。
おれが朝6時に門の外から見てるのを2階から見て、わざわざ降りてきて、
次を探そうと歩き出したおれに声をかけてくれたオーナーの女性。

値切りできる雰囲気じゃなかったので、
金額を聞いて諦め、
でも、3日後、やっぱり気になって1泊だけ、と思って行ったとき、
「あなたは400Bでいいわ」って。

12キロの山道のトップにある
お寺から見る日の出が最高だからと
朝4:30にママチャリを漕ぎ出す。
ちょ〜序盤、全道程の1/10のところで、やめようと思い、
わき道にそれようとした瞬間、

後ろから聞こえる声、
「おーい、こっちだよ」


日本語が喋れるタイ人の

ロードバイクのおじいちゃん。

 

まじかよ。笑
と思ったけど、呼ばれたし、

ついていくことに。

 

ママチャリだし、鍛えてないし、ヘタレだし、
これ以上やると肺が限界超える!!!
と思ったから、

 

「ゆっくり行くけん、
先行ってください」
と言って押し始めると、

 

おじいちゃん、
ゆっくり漕いでくれてる。

「がんばれ。
待ってるから一緒に行こう」
とでも言うように。

途中で、ギブアップする気マンマンでスタートしたチャリ。
ずっと続く上り坂を、2時間かけて、登れました。
おじいちゃんのおかげで、最後まで。

有り難い。

と、心震える体験は、
思いやりという温もりを感じると同時に、

できない自分の至らなさを
感じさせてくれる。

だから、こそ、

「次は自分が」

という原動力になる。


◯◯◯

タイは仏教の国。
いたるところにお寺がある。
観光地もだいたいお寺。

しゃんと背筋を伸ばしたくなる
そんな雰囲気が好きで、
旅先でお寺を見かけると
いつも手を合わせたくなる。

そのときに心に思うのは、
お願い事!!!
じゃなくて、 

八百万の神様と繋がって、
いま、ここに、じぶんが、
在ることへの感謝だった。


身体を持って、
ここに在る。


なんて不思議で、
なんてありがたいんだろう。

そう思うときの
「ありがたい」
に漢字を当てるなら、

「在り難い」

の方が、
僕は、しっくりくる。

「在」という字は
「まさかり」の象形と
「川の氾濫をせきとめるために建てられた良質の木」の象形で、

「災害から人を守るために存在するもの」
という意味だったらしい。


木は存在することで、
川の氾濫をせきとめていた。


ここに在りながら、
何をしよう。

 

いま、ここに、じぶんが
在ることが、原動力になる。

2時間で 60円の電車。なんだそれ!笑

遺跡都市アユタヤを満喫し、
首都バンコクへ。

移動手段の選択肢は3つ。
・高い タクシー
・事故が多い ロットゥー
・安い 電車

そりゃ、電車。笑

電車にもランクがあって、
1番安いのは、
エアコンがない車両。

35℃を超えるタイで、
2時間ゆられるけど、

まさかの
60円!笑

 

ちなみに
新宿−成田
1.5時間1300円 。
2時間 60円 。 

 

なんだそれ 笑

 

乗ってみたら、風が心地よく、
ストレスはほぼなし。

しかも、すげーラッキー。
お昼過ぎの、この時間帯、観光客は0。
現地の人ばっか(^^)

 

4人がけのボックス席タイプで、
座れるキャパは1車両60人くらい。

携帯いじる人は0人。
本読んでる人は1人。

あとの59人は、
流れる景色を見てるか、
隣に寄りかかって寝てるか、
ボーとしてるか。笑

ひまの過ごし方がうまいな〜と感動。


結構、席も埋まってたので、
扉の近くで立ってることにすると、


私服のおっちゃんおばちゃんが
勝手に車内販売。笑

 

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水とか、手作りのお弁当とか、手作りのお菓子とかとか。
すげーな!!!

車内販売ついてるのは
日本では、リッチな電車しかないのに、

勝手に車内販売がやってくる電車で、
2時間60円 笑

 

しばらくすると、
車掌さんがキップをチェックしに巡回。
あ、こういうのはちゃんとあるんだ!と安心。笑

 

でも、なんて言うんだろ、
「片手穴あけパンチ」で、
切符をきるときに出る紙のクズは
穴あけパンチ内に蓄積されず、床に。笑

 

おいおいと思って
車掌さんを見てたら、


なんか、おれ、呼ばれてる。

「こっちこい!空いてるから、座れ」
って、優しい笑顔で。

 

周りに座ってる人も
外国人の僕に対してウェルカムしてくれる。

「すげーーー!!!」
感動。


日本でも、電車乗ってて
「席空いてるから座れ」って、
言われたことないのに。

 


でも、急に腹痛くなって、便意をもよおす。

同じタイミングで、電車は減速。


日本ではトイレついてる電車、ほとんどないから、周りの乗客にトイレの有無を聞くこともせず、
一旦、降りて、駅のトイレに行こうと思って、
バッと電車を降りた瞬間、

 

さっきの車掌さんが、
笑顔でホームを歩いてくる。

 

車掌「へい、ここはバンコクじゃないよ?」

ぼく「腹痛くて、トイレ行こうと思って」

車掌「トイレは電車にあるから、とりあえず乗れ乗れ!」

 

「トイレット!」っておっきな声で言いながら
その方向を指差してくれる。

なんなら、ついて来てくれる。

 

子どもみたいで恥ずかしいけど、

子どもみたいなもんか。笑

恥ずかしくていいし。  と思いながら、

 

トイレに到着し、
ドアを開けた瞬間、
においがすごい!💦

 

 

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でも、和式じゃなくて、
洋式の便器!


底をちらっと見ると
少し、明るい。

へ?

って思ったけど、
その疑問は、
排泄欲に負けて、一旦保留。

「あれ、便器の中から風を感じる。
いやいや、ウソでしょ」
と思いながら、

用を足した後、

「流す」ボタンはなく、
トイレの壁についてる、シャワーで
便器内のうんこを流す。

便器が綺麗になったあと、再度覗き込んでみると、やっぱり光の筋が見える。

 

 

この内側の構造を図にすると、
こんな感じ。

 

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そう、出したのがそのまま下に。

 


ある意味、野グソ( ̄▽ ̄)笑

 

ふつーに洋式の便器だったから、
だまされたー!!!笑

「線路にうんこを垂れ流す」
ことが、人生であるなんて。。。

       

 


野グソなんて、

半年前に

和歌山の山道で、自転車漕いでて、
腹痛くなって、

ガードレールの崖側で、
南海電鉄を下に見ながら、

出したぶり。


やったことあるんかーい!笑

おわり。

『水掛祭り(ソンクラーン)  は天気も変える 笑 』

   
今日は東京26℃
タイはいつもの38℃
     
      
ソンクラーン前日、
田舎の田舎では子供たちが
キャッキャ言って、バケツで、
バイクに乗ってる僕にかけてくる 笑
    
かわいい。
     
      
まだちっちゃい子は、
一生懸命構えてるけど
     
バケツの水がちょっと重くて、
バイクのスピードに合わせられず、
     
僕が通り過ぎたあとに水がやってくる。
     
めちゃかわいい。笑
      
     

 

ソンクラーン初日
      
3ヶ月雨が降らなかった地域で、
        
急に地表で水分が増えたからか、
お昼頃に
雷が鳴り出し、大雨が降った。

ソンクラーン
すげぇな 笑
     
          
           
田舎の都会では子供たちが
すました顔で、ホースや水鉄砲で、
歩いてる僕にかけてくる。

         

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目がガチでちょっと怖い。笑
     
バイク運転中に大雨にやられ、
パンツまでビショビショ。
こんなおれにまだ、水かけるの?笑
     
と思ったけど、
かけてくれるし、
イエーイって言いながら、笑ってた。

           

でもね、

最初はこうやって、

お釈迦様の手、

お年寄りの手に敬意を持って

水をかけるのが始まりだったらしいよ。

           

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ソンクラーン2,3日目
都会の都会では観光客の大人たちが
現地の人たちと一緒に
フル装備で水を掛け合ってる。
     

          

1日目にたくさん水を浴びて、

若干風邪気味の僕は  笑

それを、ちょっと遠くからみてた。笑
     
    
同じ、ゲストハウス
ドミトリーのみんなは
お祭り騒ぎ。
     
日本人のケイスケを除いて、
みんなクラブに行ったみたい。
     
誘われたけど。
      
海外に来てまで、
気を使って、合わせるのは
もういいじゃんね。
     
     
ソンクラーン、すげー楽しかったし、


お祭りなくても、

タイを旅する1日1日は
おれにとって

充分すぎるくらいスペシャルです。

         

ソンクラーンで1番困るのは

お堀の汚い水による結膜炎でも、

バイクの時にかけられて、逃げようとして対向車線で事故ることでもなく、

        

半乾きのパンツでした。笑

あ、もう、大丈夫でーす(^^)

おじいさんが大好きって話。

手持ちの現金が400B(1200円)くらい

駅で両替できるだろうと思って行った国鉄の駅

今日は祝日で両替やってない( ̄▽ ̄)

 

ATMでお金下ろそうとしても、なんでかできない( ̄▽ ̄)

 

400Bでバスに乗れるかもという情報があったので、バスステーションまでの40分。

炎天下、バックパックを担ぎながら歩く。

 

乗合タクシーの50B(150円)や、

屋台のごはんの40B(120円)の出費で、

バスに乗れなくなったら困る!

     

と思い、熱さと空腹に耐えながら、歩いていたら、

ぞうりのおかげで、足の甲の皮がむける。

仕方がないから、ぞうりを持ちながら裸足で歩く。笑

タイの現地の人は暖かく笑ってくれる。

さすが、微笑みの国(^^)

 

結局、1時間くらい歩いて

バス停近くの

ティーモールで両替して、

夜行バスのチケットを買って、

涼しいカフェに入る。

          

そのカフェで振り返りながら

まとめたこと。

 

力作なので、

時間があるときに、ゆっくり(^^)

 

>>>

 

インドネシアから25年間弾圧を受け、
それでも独立を果たした東ティモールドキュメンタリー映画
『カンタティモール』を見て、
    
強く感じたのは、
     
『生きる』ということだった。
     
    
人口の3人に1人が命を失い、
90%もの家々が焼かれ、
      
目の前で自分以外の家族を殺され、
子どもの前でレイプされ、
        
銃で打たれて、蹴られて、
飛び出た内臓を手で抑えて命をつないだ。
      
それでも『生』を選んだ。


そんな映画に心震わされて、
もっと、『よく生きたい』と思った。
         
      
2ヶ月居候させてもらったサダさんの
24歳のころの旅の話
生きる力 を考えるために
『死』をテーマに旅をした。
     
     
そんな話を聞いていたから、
     
自分はこの旅で、
「生」「死」に関して
何も感じれてないことが勿体無いと思った。
      
でも、それ以上に
「死」を感じようとするのは
怖かった。

自分の知り合いが死ぬのも、
目の前で患者が死ぬのも、
怖い。いやだ。
     

自分の旅がどこか足りないと思うのは
サダさんと比べてるから。

今回の旅の目的は
Inner God に出会うこと。
自分の中の YES を選択したくてこの旅をした。
       
桑原悠樹を、やる。      
     
それができてる、今。
いい旅してるなと思う。
     
    
    
>>>

それでも「死」について思うこと。
       
自分の経験はあまりに乏しい。
直接、死に立ち合ったこともないし、
死んだこともない。
      
      
一番、身近に感じる「死」は
3年前に他界した祖父のこと。
     
大正2年島根県出雲市に生まれ、
途中2年間兵役についたが、
44年間、国語の教員として教壇に立ち続けた。
      
僕の保育園への迎えによく来てくれた。
母さんに怒られた時に逃げ込むのは祖父の部屋だった。
一緒に、トランプをしたり、囲碁をしたり、将棋をしたり、
よく遊んでくれた。
    
90のときに僕の祖母を亡くしてからも、
     
畑をして、煮物を作り、
詩を書き、お茶を点て、
本を読み、手紙を書き、
     
悠々自適に過ごし、
     
98のときに詩集『出会い』を出版。
    
     
3年ぶりに兄弟3人含め家族全員揃った
祖父が満100歳の正月。
  
自分も20歳になり、初めて、
みんなで乾杯。

乾杯の日本酒は
長男が勤める酒蔵の酒。
    
「今年は、いい正月だった。」
     
と言っていた翌月、
自ら入院することを決め、
    
そのまま帰らぬ人となった。
      
それが3年前の2月。
      
      
      
今は、旅だから
荷物はなるべく少なくした。
    
大学生が学校に持って行くカバンに
入るくらいの荷物でタイに来た。
     
でも、大事に持っているのは、

おじいさんの詩集。
     

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なんとなくソンクラン
盛り上がりたくなかった自分は、
お祭り騒ぎのチェンマイ
祖父の詩集を読んでいた。
    
     

     

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『待つ』
足を止めて夕映えを見る
夕映えにつつまれる
茫然と
何かを待つようにして

 

『散るもの』
老人たちのその日の花見は
夢のように美しい満開の花に酔うことだった
城山の茶店はそれぞれに忙しかったが
散ってゆく花の姿は静かだった

 

『堂々と』
地面で腹を上にしたまま動かないセミ
まるで 死そのもののようだった
それは到りついたものの姿だ
いかにも堂々としていた
     
◎    
       
おじいさんはどんな気持ちで歳を重ね、
どんな気持ちで自分の順番を待っていたのか。
     
飾らない、カッコもつけない、
おじいさんの自然なことばで創られる
4行詩から、

おじいさんの「死」への恐怖を感じることは
今の僕には、できなかった。
    
    
        
祖父が亡くなった2014年。

祖父は最後まで、

自分のことは、
自分でした。
自分で決めた。
    

時は遡って、大正7年
おじいさんは5歳の誕生日に、
おじいさんの実の母を亡くした。
95年間、自分の誕生日は母の命日だった。
    

おじいさんが亡くなったのは
2月19日、23時30分。
奇しくも、2月20日は、

おじいさんの2番目の娘の誕生日だった。
      
      
最後まで、自分のことを自分で決めた祖父。
棺に入ったその細いからだは、
まさに、
到りついたものの姿だと思った。
     
    

『老い』
かえるがないているよと言ったのは四つになる子だった
そうだよきこえるよと六つになる子も言う
だが 老いの耳には何も聞こえない
外では さくらが漸く満開になろうとしていた

 

※漸く(ようやく)

 

『権利』
新緑の樹々に薄暮が忍びよる頃
生活は軒下から路上まではみ出してくる
子供たちも出て球投げなどしている
明日を夢見る権利が ここにはある


四つになる子は真ん中の兄。
六つになる子は一番上の兄。
球投げなどしているのは、おそらく僕。
    
祖父は僕ら孫たちに、
明日の夢を重ねてくれていたんだと思う。
     
僕らの「明日」が
順番を待つ祖父の
支えになっていたのかもしれない。
    
   
>>>
    
祖父のことを思い出しながら、
チェンマイのカフェで1人、
号泣しながら思ったのは、
    
『生の対極は、死なのか』
    
ということ。
    
おじいさんの詩を読んでいると、
生も死も連続していて、一つの循環の中にある。
そんなことを思った。
    
死は順番に(例外はあれど)やってくるから、
そこにフォーカスして、徒らに恐れるのはもったいない。
     
    
死があるから、もっと生を輝かせよう
というのも分かるけど、
     
     
シンプルに、
もっと生を輝かせられるから、
もっと生を輝かせよう。
     
     
娘の誕生日の直前に祖父は身体を離れた。
死ぬ時を、祖父は選んだ。     
         
生を輝かすためには、
     
自分にふさわしい選択をすることだと思う。
    
    

◯◯◯
    
大きな世界はすぐには変わらないかもしれない。
目を覆いたくなる世界もある。
    
でも、
『明日を夢を見る権利が ここにはある』

        
子供たちの明日にも、
自分たちの明日にも。
     

こんな時代だからこそ、


希望にフォーカスし、
自分にふさわしい選択をしたい。