読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『 Inner God Journey 続 ① 』

 

九州での2ヶ月の旅を終え、

出雲の実家に荷物を置きに帰ったのが3月19日の夜。

 

20日の朝に出発したから、

家には12時間もいなかったけど、

その夜に家族と話した時間が、

自分にとっておっきな時間でした。

 

1993年2月に3人兄弟の3番目として

生まれた僕は両親にも祖父母にも可愛がられ、

末っ子らしく兄弟で1番やんちゃな幼少期を過ごし、

小学3年生から野球を始めました。

 

自営業で塾を営む父は、

僕が小学生のとき、よく公園に連れてって、

キャッチボールをしてくれて、

 

土日は僕が試合に出ないこともあるのに、

いつも応援にきてくれました。そんな優しい父でした。

 

 

でも、高校に上がるあたりから、

長い長い反抗期が始まりました。

 

挨拶されても、「うん」しか言わない。

むしろ、「うん」さえも言わない。

目を合わさない。

会話は必要最小限。

ほとんど、ない。

 

当時は、なんで口きかないの?

って言われても答えられなかったと思います。

 

 

今、理由を作ろうと思ったら、

「父の男らしくないとこ」が嫌だったんだと思います。

 

今、その時の本音を思い出したら、

「怒られたかった」

「ちゃんと話したかった」

「家族、仲良くしたかった」

 

でも、きっかけを作れず、その反抗期はズルズルと続き、

高校3年間が終わり、浪人時代も、大学時代も。

 

大学で東京に出て、働いた居酒屋が

「誕生日に両親に『産んでくれてありがとう』を伝える」

というのを大事にしていたから、

ありがとうを伝えてはいたけど、

仲が良かったかと言われたらそうじゃなかった。

 

それは、多分、、

自分が受け入れきれてなかったからだと思う。

本当はこうしたい

という声に耳を傾けなかったからだと思う。

 

 

それとは逆で

父の度が過ぎる心配性に苛立っていました。笑

 

 

半年に一度くらいの頻度で出雲からわざわざ東京に来て、僕が働いていた居酒屋に飲みに来たり、

 

僕が大阪で、ミュージシャンがオーナーの飲食店の店長を始めた時は心配でたまらず、大阪の市内探偵にお金を払って、店があぶない所ではないか調べたり、

 

車中泊で九州を旅しているときに来たメールは

「もし、山の中でガソリンがなくなったら連絡しなさい。そこまで迎えに行くから」

 

・・・・・・

 

もちろん、僕がたまにしか連絡をしなかったから

っていうのがすごい大きいと思う。

 

     

    

でも親不孝息子は

父さんに求めてた。

 

 

「お前なら大丈夫。

何を選んでも応援するよ」

って言って欲しかった。

 

 

僕を、信じて欲しかった。

もっと、認めて欲しかった。

 

 

父さんなりのおっきな愛を、

僕はむしろネガティブに受け取っていた。

 

 

何かを外に求めるんじゃなくて、

受け入れることが自分には必要なのに。

 

父からもらっていた愛情も。

自分の中のトラウマも。

 

受け入れることが必要なのに。

 

 

 

今回の帰省で、出雲に帰ったときに

友達に聞かれたんです。

 

 

「父さんとの関係、本当はどうしたいの?」

 

 

問いたくなかった問いでした。

開けたくなかった扉でした。

 

内側の感情に蓋をして、

トラウマに向き合わない選択の方が、

楽でした。

 

 

でも、本当は、

 

「父さんと仲良くなりたかった」

「ふつーに喋りたかった」

 

自分一人じゃなかなか気付けなかったけど、

友達に背中押してもらいました。

 

「踏み込んで聞いてみなよ。

『高校3年間俺が口きかなかったとき、どんな気持ちだった?』

って」

 

トラウマ、

ど真ん中!

 

「いやいやいやいや、むりむりむりむり」笑

 

。。。

 

でも、そうだよね。

自分の本音が言ってる YES を知ってるのに、

それをやんなかったら、ウソだよね。

 

いいことをブログには書いてるのに、

ウソだよね。笑

 

 

踏み込みたくないし、

逃げたかったけど、

 

ちゃんと向き合ってみよう。

そう思いました。

 

 

父さんの塾の仕事が終わるのは早くて22:30。

それまでは、かあさんと兄貴と3人で飲みながら、

 

「九州の旅の途中でこんな楽しいことがあったんよ!」

とか、

 

「あんたこれからどうすんの?」

 ー「決めてない。が、本音。

  けど目指すとこは変わらずこういう感じだよ」

 

っていう話をしてました。

次第に、みんな眠くなって、

父さんの仕事が終わるまでしばし休憩。

兄は就寝。

 

23時ごろ、父さんが仕事終わって、

かあさんと3人で乾杯で再スタート。

 

いつも、心配してくれる父は

僕の収入が気になるのと、

実家の近くにいて欲しいのとで、

    

「医者を目指して勉強するなら。。。」

とか、

「教員になるっておじいさんと約束。。。」

とか、

「母さんの実家はお前に継がせようと。。。」

とか、

 

色んなことを言ってくれるのですが、

今回は自分の状態が良くて、

自分に受け入れる準備ができていたから、

 

「いや、そうじゃなくてさ!」

じゃなくて

 

「うん、うん、そうだよね」

っていつも以上に聞けたんです。

 

 

そのあとは、僕の番です。

いつもは

「こんな世界を見てきたんだ!

 だから、こんなことがしたいんだ!」

って、自分の選びたい道を分かってもらおうと必死でした。

     

でも、見てきた世界が違うし、

僕もまだやってないことを理解させるのが

むずかしいのは当たり前だと思ったんです。

 

 

「九州の旅ではこんなことしてきたよ!」

楽しかった熱量をそのまま伝えたから、

父さんも「いい経験してんだな」

って思ってくれたんだと思います。

 

「これから、悠樹は何するの?」

「2ヶ月はbinwanで働かせてもらう!

 そのあとは分かんない!っていうのが本音。

 そのとき、自分が一番いいと思う道を選択するよ。

 でも、5年って決めてるから。

 5年で掴めなかったら、安定した職に就くよ」

 

そんなことを言いました。

どれくらい納得してくれたかは分かりませんが、

手応えのある会話でした。

 

 

そのあと、スポーツニュースが流れ、

会話もたわいもない感じになって、

もう一歩、踏み込まなくてもみんなハッピーで終われる雰囲気になり、

最近、寝室の天井にイタチがいるという母は、居間のこたつで寝はじめました(笑)

 

でも、まだ目的が達成されてない僕は、

 

なんと言って切り出したか覚えていませんが、

僕と父の二人になったところで、聞いてみました。

 

「あのさ、おれ高校のとき、ほとんど口きかんかったじゃん。

 父さん、どんな風に思ってた?」

 

「う~ん。。。

 反抗期だけん、仕方ないと思ってたよ。

 むしろ、おれにどんな原因があるんだろうって思ってた。」

 

絶対、口をきかなかった僕の方が悪いと思ってたから、

父さんが自分に責任があると思ってるのは予想外でした。

 

「そうだったんだ。

 反抗期だから仕方ないって思ってくれてたんだ。

 でもさ、3年もだよ。

 本当は仲良くなりたいと思ってたし、

 普通に話したかったのに、

 おれが頑固でさ、バカでごめんね。」

 

「まぁ、反抗期はそれぞれの子どもで違うからなぁ。

 だし、自分の責任にする方が楽だもんな 」

    

 

「まぁね、人のせいにしたらしんどいもんね。

 でもさ、その時、本当はどんなこと思ってた?」

 

「そりゃね 笑

 なんで無視するんだ!とか

 寂しいな、とか思ったよ。」

 

「そうだよね。

 口きかんでごめんね。

   

 おれもさ、すごいトラウマでさ。

 だけん、話できてよかった。

 ありがとう。 」

 

「おれも話せて良かったよ。

 ありがとう。 」

 

そうやって、話が終わったときに、

心の鎖が1本抜けた気がしたんです。

 

 

『あぁ、本音をシェアできて良かった。』

 

 

 

 

 

多分、父と向き合うタイミングは

2周目、3周目が来ると思います。

 

その時の精一杯、心を開いて、

感謝とリスペクトを持って、

関わっていけたらと思っています。

 

 

ずっと溜まってた言葉も

口にして、開放してあげると心は本当に楽になる。

 

本当に向き合いたくないことこそ、

向き合ったら、おっきいご褒美がもらえる。

 

そんなことを思った父との時間でした。

    

 

    

その翌日は、めちゃ早起きして、

朝6:30から出雲大社に参ったあと、

 

スサノオさんを祀る須賀神社に行って、

引いたおみくじにすごい嬉しいことが書いてあったんです。

 

『思う事 思うがまゝに

  なしとげて

  思う事なき 家の内かな 』

 

「目上の人の思いがけない引き立てで

 心のまゝに調い(ととのい)家内仲良く暮らされます」

 

「大吉」でした。

 

 

思うがままにいくと言ってくださったのは単純に嬉しい(^^)

でも、そんな時だからこそ、感謝とリスペクトを持って、

一歩ずつ。

 

そして、背中押してもらって、

家族の仲が深まったのも見てくださってたんだと思います。

 

これから、どんなお引き立てがあるんだろうと

ちょっとワクワクしながら、

神の国、出雲を離れ、

神の山、徳島、神山町に向かいました。