おじいさんが大好きって話。
手持ちの現金が400B(1200円)くらい
駅で両替できるだろうと思って行った国鉄の駅
今日は祝日で両替やってない( ̄▽ ̄)
ATMでお金下ろそうとしても、なんでかできない( ̄▽ ̄)
400Bでバスに乗れるかもという情報があったので、バスステーションまでの40分。
炎天下、バックパックを担ぎながら歩く。
乗合タクシーの50B(150円)や、
屋台のごはんの40B(120円)の出費で、
バスに乗れなくなったら困る!
と思い、熱さと空腹に耐えながら、歩いていたら、
ぞうりのおかげで、足の甲の皮がむける。
仕方がないから、ぞうりを持ちながら裸足で歩く。笑
タイの現地の人は暖かく笑ってくれる。
さすが、微笑みの国(^^)
結局、1時間くらい歩いて
バス停近くの
シティーモールで両替して、
夜行バスのチケットを買って、
涼しいカフェに入る。
そのカフェで振り返りながら
まとめたこと。
力作なので、
時間があるときに、ゆっくり(^^)
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インドネシアから25年間弾圧を受け、
それでも独立を果たした東ティモールのドキュメンタリー映画
『カンタティモール』を見て、
強く感じたのは、
『生きる』ということだった。
人口の3人に1人が命を失い、
90%もの家々が焼かれ、
目の前で自分以外の家族を殺され、
子どもの前でレイプされ、
銃で打たれて、蹴られて、
飛び出た内臓を手で抑えて命をつないだ。
それでも『生』を選んだ。
そんな映画に心震わされて、
もっと、『よく生きたい』と思った。
2ヶ月居候させてもらったサダさんの
24歳のころの旅の話
生きる力 を考えるために
『死』をテーマに旅をした。
そんな話を聞いていたから、
自分はこの旅で、
「生」「死」に関して
何も感じれてないことが勿体無いと思った。
でも、それ以上に
「死」を感じようとするのは
怖かった。
自分の知り合いが死ぬのも、
目の前で患者が死ぬのも、
怖い。いやだ。
自分の旅がどこか足りないと思うのは
サダさんと比べてるから。
今回の旅の目的は
Inner God に出会うこと。
自分の中の YES を選択したくてこの旅をした。
桑原悠樹を、やる。
それができてる、今。
いい旅してるなと思う。
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それでも「死」について思うこと。
自分の経験はあまりに乏しい。
直接、死に立ち合ったこともないし、
死んだこともない。
一番、身近に感じる「死」は
3年前に他界した祖父のこと。
大正2年に島根県出雲市に生まれ、
途中2年間兵役についたが、
44年間、国語の教員として教壇に立ち続けた。
僕の保育園への迎えによく来てくれた。
母さんに怒られた時に逃げ込むのは祖父の部屋だった。
一緒に、トランプをしたり、囲碁をしたり、将棋をしたり、
よく遊んでくれた。
90のときに僕の祖母を亡くしてからも、
畑をして、煮物を作り、
詩を書き、お茶を点て、
本を読み、手紙を書き、
悠々自適に過ごし、
98のときに詩集『出会い』を出版。
3年ぶりに兄弟3人含め家族全員揃った
祖父が満100歳の正月。
自分も20歳になり、初めて、
みんなで乾杯。
乾杯の日本酒は
長男が勤める酒蔵の酒。
「今年は、いい正月だった。」
と言っていた翌月、
自ら入院することを決め、
そのまま帰らぬ人となった。
それが3年前の2月。
今は、旅だから
荷物はなるべく少なくした。
大学生が学校に持って行くカバンに
入るくらいの荷物でタイに来た。
でも、大事に持っているのは、
おじいさんの詩集。
なんとなくソンクランで
盛り上がりたくなかった自分は、
お祭り騒ぎのチェンマイで
祖父の詩集を読んでいた。
◎
『待つ』
足を止めて夕映えを見る
夕映えにつつまれる
茫然と
何かを待つようにして
『散るもの』
老人たちのその日の花見は
夢のように美しい満開の花に酔うことだった
城山の茶店はそれぞれに忙しかったが
散ってゆく花の姿は静かだった
『堂々と』
地面で腹を上にしたまま動かないセミは
まるで 死そのもののようだった
それは到りついたものの姿だ
いかにも堂々としていた
◎
おじいさんはどんな気持ちで歳を重ね、
どんな気持ちで自分の順番を待っていたのか。
飾らない、カッコもつけない、
おじいさんの自然なことばで創られる
4行詩から、
おじいさんの「死」への恐怖を感じることは
今の僕には、できなかった。
祖父が亡くなった2014年。
祖父は最後まで、
自分のことは、
自分でした。
自分で決めた。
時は遡って、大正7年。
おじいさんは5歳の誕生日に、
おじいさんの実の母を亡くした。
95年間、自分の誕生日は母の命日だった。
おじいさんが亡くなったのは
2月19日、23時30分。
奇しくも、2月20日は、
おじいさんの2番目の娘の誕生日だった。
最後まで、自分のことを自分で決めた祖父。
棺に入ったその細いからだは、
まさに、
到りついたものの姿だと思った。
◎
『老い』
かえるがないているよと言ったのは四つになる子だった
そうだよきこえるよと六つになる子も言う
だが 老いの耳には何も聞こえない
外では さくらが漸く満開になろうとしていた
※漸く(ようやく)
『権利』
新緑の樹々に薄暮が忍びよる頃
生活は軒下から路上まではみ出してくる
子供たちも出て球投げなどしている
明日を夢見る権利が ここにはある
◎
四つになる子は真ん中の兄。
六つになる子は一番上の兄。
球投げなどしているのは、おそらく僕。
祖父は僕ら孫たちに、
明日の夢を重ねてくれていたんだと思う。
僕らの「明日」が
順番を待つ祖父の
支えになっていたのかもしれない。
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祖父のことを思い出しながら、
チェンマイのカフェで1人、
号泣しながら思ったのは、
『生の対極は、死なのか』
ということ。
おじいさんの詩を読んでいると、
生も死も連続していて、一つの循環の中にある。
そんなことを思った。
死は順番に(例外はあれど)やってくるから、
そこにフォーカスして、徒らに恐れるのはもったいない。
死があるから、もっと生を輝かせよう
というのも分かるけど、
シンプルに、
もっと生を輝かせられるから、
もっと生を輝かせよう。
娘の誕生日の直前に祖父は身体を離れた。
死ぬ時を、祖父は選んだ。
生を輝かすためには、
自分にふさわしい選択をすることだと思う。
◯◯◯
大きな世界はすぐには変わらないかもしれない。
目を覆いたくなる世界もある。
でも、
『明日を夢を見る権利が ここにはある』
子供たちの明日にも、
自分たちの明日にも。
こんな時代だからこそ、
希望にフォーカスし、
自分にふさわしい選択をしたい。